【前編】私が世界からいなくなった話。




2021年7月20日、午前1時。私は一度、この世を去った。

気がついたら白い天井を見上げていた。おかしい。確かに私は今日、「竜とそばかすの姫」を映画館で堪能し、帰りにおいしいハンバーガーを食べて、明日の仕事のために余裕を持って床についたはずだった。しかし、そこが病院であるということは、悲しいかな、すぐに理解ができた。ふと横を見ると、両親と妻が傍で私に何かを話しかけてくるが、弱々しい声で「迷惑をかけてごめん」としか返せなかった。


そこからまた記憶が曖昧になり、次に起きた時は朝だった。

「おはよう、気分はどうだい。」

主治医の先生が、眠たそうな目をしながらも、昨晩一体私に何が起きたのか説明してくれた。先生の話によると、私は昨日、自宅で寝ていた際に痙攣を起こし、緊急搬送されたそうだ。痙攣の原因は「脳出血」。搬送された際は痙攣も治り落ち着いていたようだが、検査中に再び痙攣。この時には呼吸も止まり、一時騒然としたそうだ。冒頭、粗い書き方をしたが、大丈夫。この文章を今書いているわけだから、私はまだ死んでいない。

実際には、この説明の時にはまだ痙攣の直接的な原因はわからず、色々な検査(CT、MRI、血管撮影)をしてやっと判明するのだが、私につけられた病名はなんとも覚えにくそうな名前の、世にも珍しいものだった。20年ほど病院に勤めているという先生でも、私で見たのは2例目だそうだ。

そんな私の病名は「脳軟膜動静脈瘻」。なんだそれは、と検索をかけた方。残念ながら、全然ヒットしないことでしょう。簡単に言ってしまえばそれは、「血管」の病気だそうだ。

本来、人間の体をめぐっている血は、心臓からスタートして「動脈」と呼ばれる血管を通り、体の細部である「毛細血管」へと流れる。全身へと巡った血は「毛細血管」から、今度は「静脈」へと乗るバスを変えて心臓へと戻ってくるわけだ。

私の場合、脳の「軟膜」という場所で、この乗り換えがうまくできていないようだった。私の血管は、心臓を出発して動脈に乗ったものの、毛細血管を経由せずに静脈につながってしまっていた。

「すいません、ちょっと今日急いでるんで快速で行かせてもらいやす!」

「今日は寝坊しちゃった☆」みたいな調子で来られては、こちらもたまったものではない。ではなぜ毛細血管を介さないと脳出血につながってしまうのか。それは、「動脈」と「静脈」の構造の違いにある。

動脈は心臓から勢い良くポンプされた血が流れるため、血管の壁が非常に「厚く」作られているそうだ。一方で静脈は役目を果たし終えた血たちを心臓へと戻すため、壁は厚くなくてもそれほど問題ではない。しかし、毛細血管を経由しないでこの2つの血管がつながってしまう場合、静脈はこの血の勢いに耐えることができず、なんらかの衝撃等を引き金に出血を起こしてしまうというわけだ。

私の場合はそれが就寝中に起こった。おいおい、就寝中に強盗にでも殴られたのか、衝撃などは起こっていないはずなのになぜか。実は全く同じ事象として「休日に寝過ぎて起きた際に頭が痛い」という経験をした人は多いだろう。この原因は、就寝中の呼吸にある。

普段呼吸をすることで酸素を取り込み、二酸化炭素を排出している私たちは寝ている際、低酸素になりがちであり、そうなると血管内の二酸化炭素の割合が多くなる。二酸化炭素が多くなると、血管は膨張し、それが神経にさわることで頭痛を引き起こすのだ。

話は戻るが、血管に異常があった私はその膨張に耐えられず、出血を起こしたのだろうと先生は話してくれた。しかし、そもそも論としてどうして血管に異常ができてしまったのか、その原因はわからなかった。先天的なものなのかもしれないし、あるいは後天的にできてしまった可能性もあるとのことだった。


とりあえず緊急性はないらしく、しかし手術で異常血管を取り除かなければならないということで、一週間後に私は手術を受けることになった。

病室でオリンピックを見ながら過ごす日々は退屈でもあったが、アスリートの方達の勇姿は、不安と戦う私を幾度となく救ってくれた。特に手術前、柔道のウルフアロン選手の「あきらめない姿」に胸を打たれ、自分も何があっても自らあきらめるようなことはしないようにしようと誓った。


能動的に何かをすることを制限されると時間が経つのは非常に早く、気がつけば手術当日を迎えていた。オリンピックもあったことで、できるだけ手術のことは考えなくてもよかった日々であったが、なんだかんだ言っても手術は怖かった。私の場合は血管異常が脳のため、手術は開頭手術だ。先生にマーカーで切開する部分の線を引かれ、全身麻酔をするので脱ぎやすいような手術着をまとい、おむつを穿かされた。

するとどうだろう。ここでようやく「これから手術なんだ」という実感が湧き、途端に大量の手汗が吹き出した。

「もし自分がカッちゃんなら、なかなか火力の高い爆発ができるかもしれない」

手術前に読んでいたジャンプ漫画のことを思い出し現実逃避を試みるが、時は刻むのをやめてくれない。縁起でもないが、なぜか何か生きた証を残そうと思い立ち、手術室に運ばれる前に看護師さんに写真を撮ってもらった。

そして時間になり、手術室にお呼ばれ。実際に見る手術室までの道のりは、今回唯一と言っていいほどに間近で見れてよかったと思えるものだった。医療ドラマなんて目じゃない、目の前に広がる大量の設備とスタッフのみなさんは紛れもない「本物」だ。手術室もゲームなんかでよくある「最終ボスの扉」感ではなく、「最終ボスの扉」が並列に何個も並んでいた。そのうちの1つに通されると、部屋の真ん中にある手術台と、周りを囲む照明がきらきらと私を迎え入れてくれた。

ここまでくると、アドレナリンが出たのだろうか。緊張よりも感動と好奇心が勝ってしまい、鼻息をフンスカフンスカしながら、すごいすごいを連呼。28歳にもなって何をしているのだろうかと思うかもしれないが、それほどにあの光景は忘れられない。

興奮冷めやらぬうちに手術台に横たわった後は、もう「まな板の鯉」状態だった。あれよあれよと準備が進み、最後にスタッフの方が一言。

「ではこれから始めますね。点滴から麻酔が入りますので、ゆっくり呼吸をしてください。」

と言った一呼吸目。

なんて表現したらいいのだろうか。経験したことはもちろんないのだが、「幽体離脱」とはこれに近いのではないのだろうかと思わせるほど、点滴を入れている体の左側が全力で引っ張られる感覚に陥った。

「「「スゴい!!!」」」

と心の中でまたもや興奮したのち、二呼吸目。

何も感じない。おかしい。私の知る限り、麻酔の掛け声は「ひと〜つ、ふた〜ちゅ、み〜ちゅ」と続き、「なな〜ちゅ」までいくはずなのだが。




そして三呼吸目。

「ゴホゴホゴホっっ、ゲホッ!!!!」

ひどいむせ方をした後、何かを吐き出した。人工呼吸器だ。なんと手術はもう終わっていた。これから繰り広げられる私の開頭手術を、持ちうる限りのグロテスクな表現で書いてやるぜ!!!と意気込んでいたのに。


こうして私の手術はあっけなく終わった。もちろん、あっけなくというのは間抜けに寝ていただけの私に対する表現で、全力を尽くしてくれた先生始め、スタッフの方々、日々の生活に気を配ってくれていた看護師の方々には本当に頭が上がらないほど感謝をしている。

しかし、しかし本当に苦しいのはここからだった。

(後編に続く)

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