私とカタンとボードゲームと。

(参照:BGG)



「カタンの開拓者たち」というゲームを知っているだろうか。プレイヤーは、カタン島と呼ばれる島を舞台に、道を建設し、開拓地を建て、都市化し、発展させていく。そうして得点を重ねていき、最終的に10点を獲得したプレイヤーがゲームに勝利することになる。

「ボードゲーム」ときくと、我々日本人の感覚ではその多くが「人生ゲーム」を連想するだろう。人生ゲームは人の一生をすごろく形式にしたゲームであり、一度は経験したことがあるという方も多いだろう。宝くじを当てて億万長者になったり、結婚して子供を産んだり、崖から落ちて怪我をしたり、事業に失敗して多額の損失を被ったり、マス目によって一喜一憂することができ、誰でも楽しめる、名作中の名作だ。そこまで浸透している人生ゲームの知名度は計り知れない。では他のボードゲームを知っているかと聞くと、答えられない人がほとんどだろう。つまり、我々日本人にとってはいまだ「ボードゲーム=人生ゲーム」なのだ。しかし、本当に人生ゲームだけがボードゲームなのだろうか。

一旦深呼吸をして違う視点で考えてみよう。質問を変えて、デジタルゲームでない、アナログなゲーム、テーブル上で行うゲームは?といった問いにすると、これが不思議なことに人生ゲームと答える人はほぼいない。トランプ、UNO、将棋、リバーシ、チェス、ドンジャラ、麻雀、ジェンガetc….。我々は有名な実に多くのボードゲームに囲まれていることがわかる。ここから得るものとして、一般的な人にとって「ボードゲーム」という言葉は、ジャンルを表す言葉ではなく、あくまで人生ゲームの別称として認識されているということであろう。

しかし、この記事で私が言いたいのは「ボードゲームは人生ゲームの別称なんだよ」ということではない。この話は単なる余談だ。私はカタンの開拓者という人生ゲームにも劣らない素晴らしいゲームを紹介したいのだ。

カタンにどんな魅力があるのかということを紹介する前に、私とカタンの出会いを話しておこう。私がカタンと出会ったのは私が大学生の時だ。ある日、友人からこんな連絡が来た。「面白いものを手に入れたから、うちに遊びに来いよ」。具体的な名称を避けてあえて「面白いもの」と形容するくらいだ。友人はきっと相当な自信があるに違いないと判断し、その誘いに乗ることにしたのだが、そこで出会ったのがカタンであった。

シルバーの小さなスーツケースに入ったそれは、第一印象ではあまり興味をそそられるものではなかったのを覚えている。スーツケースを開いた瞬間にその印象は打ち砕かれることとなるのだが。中から出てきたのは、正六角形の中に何やら景色のようなものがかかれたパーツの数々。細長い海が書かれたパーツ。数字が書かれた円形のチップ。トランプと同じくらいの量のカード。そして、ジャラジャラとジップロックの中で音を立てるプラスチック性のコマのようなものだった。まるで宝石箱のよう、とまではいかないが、その色とりどりの内容物に一瞬で心を掴まれた。

なんだなんだ、ジオラマをこれから作っていこうかというのか。細かい作業ではあるけれど、なるほど。確かに男子で嫌いなやつはまあいないだろう。と思ったが、ジオラマではないらしい。とにかく聞いてくれと簡単なゲームの説明をされて、じゃあとにかくやってみようとなったわけだ。これが私とカタンの出会いであり、後にボードゲームにハマっていくきっかけである。

初めてのカタンは、誰が勝ったのかはもう覚えていないのだが、友人が「面白いもの」と呼んだに十二分にふさわしいものであったのは間違いなかった。何がどう面白いのか。うまく言語化できるかわからないが、できる限り伝える努力をしてみよう。

ゲームはさきほど言ったように、先に10点を獲得すれば勝つことができる。まずここだ。目標がはっきりとしていてわかりやすい。私はこれからこのゲームで友人よりも先に10点をとれば勝利することができるのだなと。そしてこのカタンとやらは、人生ゲームのようにルーレットを振ってただ道を進んでいけばよいものではないということがわかった。

(参照:BGG)

さて、ではゲームはどうやって進行していくのか。自分の番では、まずサイコロを2つ転がす。そして出た目を合計した数値を叫ぶのだ。「2と3だから…5!」といったように。次に、この出目に対応した「資源」を「条件をクリアした全員」で獲得する。これが面白い。資源というのは、今ほど述べた「開拓地」などを作るための材料のことだ。「木材」「粘土」「小麦」「羊」「鉱石」の5つの資源が存在している。各資源の上には「2〜12」の数字のチップが置かれており、出目によってその資源のカードを獲得できるというわけだ。もちろん、全員がその資源を獲得できるというわけではなく、六角形の頂点に開拓地を置いていたプレイヤーだけが獲得できるのだ。つまり、もし自分のターンでなくとも、他人が出した出目で資源を獲得できるチャンスがあるわけだ。このルールのおかげで、プレイヤーはずっとゲームに没頭することができ、暇な時間があまりない。

(参照:BGG)

それでも、必要な資源を満遍なく収集することはそうそう簡単なことではないだろう。そこで、カタンというゲームの最大の魅力が登場する。サイコロを振って資源を獲得した後、プレイヤーは資源を自由に他のプレイヤーと交換してよいのだ。今カタンをプレイしたことがない方にはふーんとしか思えないだろうが、これがどれだけ無限の可能性を秘めていることか、どれだけのドラマを生み出すものなのか。このゲームの9割はここに面白さがあるといっても過言ではないと私は思っている。カタンの開拓者が「交渉のゲーム」と呼ばれるのは、この部分を指すものである。もう少し説明をすると、この「交換してもよい」というのは「なんの制限なく」交換してもよいのだ。等価交換などという難しい四字熟語を気にする必要もない。君は何が欲しい、私はこの資源がこれだけ出せる、この資源何枚となら話に乗ってやってもいいetc…。もちろん、断ることもできるし、交換する必要がなければしなくてもいい。自由交渉の場なのだ。ここで必要となるのは、「今何の資源の価値が高いのか」「相場はどれくらいなのか」「相手は何を欲しているのか」等を瞬時に把握し、交渉のネタにすることだ。およそゲームと呼ぶには少々高度な思考を要求している気もするが、そんなに深く思考する必要もない。パーティゲームのような感覚で楽しむことをオススメする。ハウスルール(独自のルール)だが、私はむしろ交渉材料に資源がない場合は「次のターンぜっっったいに8か9を出すから1枚資源を恵んでくれ」などという暴論をかましたりもする。もちろん却下されるが。

(参照:BGG)

こうして、カタンの魅力に取り憑かれた私と友人たちはそこから1ヶ月ほど、友人宅に入り浸っては夜な夜なお酒も飲まずにカタンに没頭した。おそらく軽く100戦は越えているだろう。今までの私のボードゲームという枠を見事に破壊したカタン。どうやって勝利まで結びつけるかを考える戦略性と、どう相手を言いくるめて思い通りの資源を獲得するかという交渉術、そして狙った資源を引き寄せる豪運。なるほど、これは面白いと言わざるを得ない。何より「勝つためには自分で考えないといけない」能力が養われること、「勝つための手段として他人と交渉し勝ち取らなければいけない」こと、そして「交渉=他人とコミュニケーションをとらなければいけない」こと。たかがゲームかもしれないが、その中には人生でも役立つような多くの要素を含んでいる。

(参照:BGG)

今、こうした時代の中、特に家の中で過ごす機会が多くなっている。そんな中、ボードゲームという市場はゆっくりと、しかし着実に色々な人たちに認知されてきている。テレビでの特集も5年前よりだいぶ見るようになった。ボードゲームはインドアな趣味だが、それ以上に人と密接に関わることができるコミュニケーションツールだ。私はその門戸として「カタン」をオススメしていきたい。私がそうであったように。

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2020年4月より「ひかふれblog」をスタート! ボードゲーム、TRPG等アナログなゲームが大好き! 同じ趣味を持っている方々に少しでもためになることを書けたらと思ってます。