【後編】私が世界からいなくなった話。




この話は、前編をお読みになった後に読むことをオススメします。

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私が目を覚ましたのは、手術開始から約6時間後のことだった。

魂を吐き出したかと思ったそれは人工呼吸器であり、眩しい光とともに看護師さんと先生が私を覗き込んでいた。

「おー、起きたね!よく頑張った!じゃあ私は奥さんとご両親に連絡いれてくるから!」

いきなりササッと言いたいことだけ言うと、先生はどこかに消えてしまった。

「喉、渇いたりしていませんか?」

今度は優しそうな看護師さんが話しかけてくる。長時間人工呼吸器をつけて眠っていたからだろうか、これでもかというほど喉は渇いていたのだが、渇きすぎて声が出ない。今ある限りの力を振り絞って首を縦に振った。

舐める程度の水を摂取した後は、意識も段々と鮮明になってきて、そうするとすぐに体の異変に気がついた。

まず、点滴が増えている。手術前は左腕に1つだけだったはずだが、今や私の腕は彼らに大人気のようで、左腕に2つ、右腕に1つ、新たに取り付けられていた。左腕に至ってはご丁寧にギプスのようなものまで付いており、どうやっても動かせそうにない。

そして次に気になったのは、いや本当は起きて一番始めにわかっていたのだが、信じたくなかったものを確認。今回の手術は全身麻酔でかつ長時間の手術だということは、事前に麻酔医の先生から説明を受けていて把握していた。しかし、もしかしたら目覚めた時にはないかもしれないと淡い期待を抱いていたのだが、そんなものは幻想だったようだ。

そう、私の下半身にはベッドの下から思わず息を呑むような「太い」管が通っていた。

それはそうだ、ずっと寝たままではトイレに行けないし、ベッドだって汚れてしまう。私だって子供ではないのだから嫌だと駄々をこねるわけにはいかない。

(…手術前、先生にあれほど「カテーテルはどうにかならないのですか、もしならないのならせめて、せめて麻酔が完全に効いた後にお願いします」と言ったのに。しっかりカルテにも書かれて、色んな看護師さんにイジられて恥ずかしい思いをしたというのに!)

なぜ私がこんなにもカテーテルに関して拒否反応を示すのか。ちゃんとした理由があるのだが、それはまた別の機会に書くこととしよう。

そして最後はやはり頭の傷だ。自分からは見えないので一体どうなっているのか、恐る恐る触るくらいしかできないのだが、触ったところで頭にはプレートが入っているので感覚もない。まるで石を触っているようだ。ただ、体は正直というのか、「もう今日は動くな」と言っているかのように、首は重かった。

こうしてとりあえず自分の現状を確認でき、一息つけるかなと思ったのだが、そんなことはない。

今この文章を読んでくれているみなさんには声を大にしてお伝えしたいのだが、手術をすることで確かに病気の脅威等からは解放されるかもしれない。しかし、本当の苦痛はここから始まる。術後が一番辛いというのを、完全に私は忘れていた。

特に今回は手術部位が頭だったいうのこともあるかもしれないが、目覚めてから30分も経たない頃、それは突然、思い出したかのようにやってきた。

傷口の痛みだ。

今となって思い返してみると、傷口の痛みなのかすらわからない。頭痛のような内側からくる痛みなのか、外傷としての痛みなのか。とにかく、頭が割れるほど痛かった。今この文章を書いている現在も、だいぶ和らいではいるが、傷の痛みは継続してある。

そして、それに付随してなのか、ひどく頬が熱い。おそらく、発熱している。この発熱のだるさというのは、インフルエンザや風邪などと同等のものだ。呼吸をするのにもちょっと体力を使う、あの感じを想像して欲しい。

そして、これは人生で初めて経験したことなのだが、「起きながらにして悪夢を見た」。矛盾したことを言っているのはわかっているのだが、そうとしか表現できない。目の前には看護師さんやベッドが確かに見えるのだが、空間が歪んでいるような。語彙力のなさを恨む。

他人の夢の内容ほど聞いていて意味のないものはないので詳細は省くが、幼児期に発熱した時、いつも見ていたあの悪夢の感じをご想像いただければ近いかと思う。殺人鬼に追いかけられたり、といった内容のあるものではなく、聴覚や視覚などの「五感」に直接訴えかけてくるタイプのやつだ。

頭痛、発熱、悪夢と来てしまうと、「もちろん僕もいますよ!」と言う軽い感じで吐き気も加わり、術後の目覚めは人生史上最悪のものとなった。寝ようものなら悪夢で吐き気を催し、叩き起こされて嘔吐。起きているとひどい頭痛で気絶したように意識を失い、悪夢と吐き気…。彼らのどんちゃん騒ぎは三日三晩続き、特に初日はどうやっても手に負えなかず、一睡もすることは叶わなかった。




そんな状態を一週間ほど続け、ようやくICUから病棟の移ることができた。ICUの看護師さんたちには大変お世話になったのだが、できればもうあそこへは戻りたくない。今でもベッドから見る風景が網膜に張り付いて取れない。

その後は段々と体も楽になっていき、病棟に戻ってからは術後観察と検査・リハビリをこなし、先日ようやく退院にこぎつけることができた。


こうして私は、まさに九死に一生を得て今もおいしいご飯を食べることができている。小学生のような日程の夏休みを謳歌しているわけだが、いつも通りの日々に戻るにはもう少し時間がかかりそうだ。

今回こうして私に起こったことを記事にしたのは、人生で二度とないであろう経験を忘れないよう備忘録として書いたというのもあるが、いかに自分が無力であるか、周りに支えられて生きているのかを言語化して残しておきたかったのもある。強烈すぎて忘れることはないだろうとは思うが。もちろん、この記事を読んだみなさんへの注意喚起にもつながれば幸いである。


もしあの夜、痙攣が起きた時に1人であれば確実に私はこの世界からいなくなっていただろう。泣きながらも救急車を呼び、各所に連絡してくれた妻には心からのありがとうを伝え、今後も行動で示していこうと思う。また、連絡を受けて夜中にもかかわらず飛んできてくれた両親や兄弟にも感謝したい。

もしあの夜、運ばれた病院で脳外科の先生が当直でなければ、素早く的確な処置が行われなかったかもしれない。看護師さんからはブーブー言われていましたが、毎朝様子を見にきてくれて、オリンピックの感想を気軽に共有できた先生には感謝しかありません。処置をしていただき、本当にありがとうございます。

そして入院中、細かなところまで管理をしてくださった看護師さん始め、スタッフの方々。コロナ禍の中で、とても忙しい中、いつも笑顔で接していただき、本当にありがとうございました。




どうやらまだ、私は世界に必要とされているらしい。諦めず、気張っていこう。

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